崎陽軒から学ぶ・名物料理を爆発的な人気商品にする方法
手がけたのは、横浜名物シウマイの「崎陽軒」でお馴染みの株式会社崎陽軒です。創業は1908年、110周年目を迎えました。
(創業110周年を記念したCMです。)
全国的に人気を誇る「崎陽軒」のシウマイ。
現在、販売個数は1日平均2万3000個ほど。
また2017年8月には横浜工場の新設に伴って、工場見学ツアーが人気を集めています。
今までシウマイだけでしたが、弁当の製造ラインも見学出来るようになりました。
近年、日産スタジアムが本拠地の横浜F・マリノスや、「キャノン・キャッツ・シアター」(みなとみらい)がある劇団四季とのコラボ弁当も話題となった「崎陽軒」。
今や横浜名物と言えば「崎陽軒」のシウマイ。
一体どのような経緯で、全国に名を馳せたのでしょうか。
「崎陽軒」のシウマイによる戦略から、名物料理の人気を獲得する方法を解き明かしていきます。
シウマイの人気が全国規模で爆発した戦略とは
株式会社崎陽軒の年商は、2017年度で235億円を記録しました。
2015年度は212億円、2016年度は220億円だったので、3年連続で業績を伸ばしています。
さらに創業110年という歴史の中で、売上高は過去最高。
ちなみに売上比率のトップを占めているのはシウマイ(39%)と、弁当(45.6%)です。
とくに弁当は駅弁市場が低迷していると下げばれる中で、同社は極めて異例の販売数を誇ります。
シウマイだけではなく、まぐろの照り焼きや鶏唐揚げ、あんずが入って830円というお値打ちの弁当です。
しかしながら「崎陽軒」が好調の兆しを見せたのは、2008年のこと。
長い歴史から考えると意外なことかもしれません。
「崎陽軒」のシウマイは1928年、「東京に近い横浜でも売れる名物を」というコンセプトのもと、誕生しました。
ちなみに商品名はシュウマイでも、シューマイでもなくシウマイです。栃木出身・創業者・久保久行氏が、シュウマイのことを方言でシーマイと呼んでいました。商品開発に携わった中国人の料理人に、「中国語の発音に似ている」と方言を褒められたことから、シウマイという表記が採用されるようになった経緯があります。
発売以降、様々な販売戦略を展開していきます。
真空パックシウマイや自動販売機での販売。
さらには全国のスーパー・量販店でも扱うようになります。
美味しい「崎陽軒」のシウマイがどこでも身近に手に入るようになりました。
この戦略がヒットしたかというと、実は失敗に終わります。
売上が伸びるどころか、低迷を迎えます。
起死回生をすべく、逆転劇を図ったのは2007年。
代表取締役社長の野並直文氏が、”ある作戦”を実行したのです。
名物料理をヒットさせるには、どうすべきか。
メニューを変えるのか。
味を変えるのか。
パッケージやキャッチコピーを変えるのか。
株式会社崎陽軒が行ったことは、どれにも該当しません。
ローカル主義という販売戦略に変えることにしたのです。
「真にローカルなものがインターナショナルになり得る」という大分県の前知事・平松守彦氏の「一村一品運動」⁽²⁾の考え方からヒントを得たそうです。
具体的には、全国のスーパーマーケットでの販売から撤退。
横浜を中心に神奈川県内の約100店舗と、東京都・埼玉県・千葉県・静岡県だけの取り扱いに販売を限定したのです。
販売地域を絞ることで、シウマイの希少価値を高めてブランディングをして行きました。
結果的に、業績は右肩上がりで回復。
企業理念⁽³⁾の1つにも、以下のような内容が掲げられています。
■崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。
真に優れた「ローカルブランド」をめざします。
「崎陽軒」のシウマイの販売戦略は、いつでもどこでも購入できるシウマイから、横浜でしか買えないシウマイにすることで、全国的な支持を獲得していったことです。
ここから筆者が学んだことは、守るべきもの・変えてはならないものを見極めることの重要性です。もし伝統の味を変えていれば、今ほどの展開は実現しなかったでしょう。
さいごに
今回取り上げた「崎陽軒」のローカル戦略は、様々な飲食店において応用出来ます。
例えば、大阪・北浜に本店を構える洋菓子店「五感」は、黒豆を使ったマドレーヌ「えぇもんちぃ」を大阪名物として販売しています。
販売エリアは、大阪市内と堺市・西宮市に限定。
全国での取り扱いをしないことで、大阪名物として知名度を上げています。
名物料理の人気を獲得させるために味を死守しつつ、販売戦略を見直してみてはいかがでしょうか。
【参考文献・リンク】
⁽¹⁾「おいしさ長もち 11種の野菜シウマイ」発売|崎陽軒 プレスリリース
⁽²⁾崎陽軒「ローカル主義の成功」|商業界ONLINE
⁽³⁾企業情報|崎陽軒