“美味低廉”を胸に100年企業を目指す三代目の挑戦|増田屋

投稿日:2025年9月19日(金) 社長インタビュー

垂水の地で75年。寿司と日本料理を軸に「美味しいを、安く、満腹に」を貫く老舗・増田屋。三代目・増田光祐が挑むのは、伝統の継承と進化。洋の技術も取り入れ、100周年を目指す家族経営のリアルに迫る。

有限会社増田屋 三代目 増田光祐(ますだこうすけ)

Q:有限会社増田屋の三代目である増田さん、今日はよろしくお願いします。まず最初に有限会社増田屋の事業内容から聞かせて頂けますでしょうか?

昭和24年に祖父が魚屋として創業したのが「増田屋」の始まりです。現在は垂水にて、寿司を中心に日本料理を提供する店舗を本店と平磯店で2つ展開しています。当時はまだ回転寿司もない時代でしたが、「学生でも安くてお腹いっぱいに食べられて、安心できるお店」として親しまれ、お客さまとともに増田屋は成長してまいりました。しかし、リーマンショック以降、徐々に経営環境が厳しくなり、コロナで大きな打撃を受けました。そして、ようやく日常が戻りつつある今、洋食出身のシェフを迎え、寿司・天ぷら・懐石料理といった日本料理に洋食の要素を取り入れ、新しいスタイルへの進化を試みている会社になります。

Q:ありがとうございます。光祐さんは三代目として増田屋に入られたとお聞きしていますが、そこに至るまでの経緯を教えていただけますでしょうか?

大学卒業後、食品メーカーで3年ほど経験を積んだあとに僕は増田屋に合流しました。当時は弟がすでに働いており、そこに加わるかたちでの入社でした。長男だった僕は、将来、増田屋を継ぐことは決めていたものの、心のどこかで「海外に行きたい」という思いもあって、それが叶うならこの仕事じゃなくてもいい!それくらい葛藤した時期もあったんです。そんな中、弟の結婚式で父が「増田屋を100年続ける」とスピーチをし、その言葉を聞いて「自分が三代目としてその思いに応えよう」と決意したんです。

Q:「増田屋100周年」という大きな目標に向かう中で、お父さまとの意見の食い違いや衝突もあるかと思います。そのあたりについてどのように向き合っておられますか?

かなりの頑固親父で(笑)、大変なことも正直あります。そんな中でも「美味低廉(びみていれん)」という考え方には共感できるんです。これは、美味しいものを安くお届けしていこう!という意味合いで、創業者である祖父も「うまい寿司をお腹いっぱい食べてほしい!」という想いで、お手頃な価格で提供してきました。その志は父にも受け継がれ、そして今、僕にも引き継がれようとしています。最近ではインバウンド需要を意識した高価格帯のお店も増えてきていますが、三代目である僕が提供したいのは「これだけ美味しいものを、これだけ食べて、この値段!?」と驚いてもらえるような体験なんです。お客さまの心を、そんな体験を通して動かしていきたいですね。それと、祖母の口ぐせだった「頭うごかな尾は動かん。」という言葉も、僕の中で大切にしています。「暖簾にあぐらをかいたらあかん!(お店のブランド力で仕事をするな、という意味)」という意味なんですが、すべてに通じることだと思っています。「美味低廉」と「頭うごかな尾は動かん」。この2つはこれからもずっと大切にしていきたいと思っています。

Q:変化の激しい時代の中でも、そうした考え方が代々受け継がれてきたからこそ、増田屋は長く愛され続けてきたのですね。さて、この辺りから読者の方が気になりそうなところを伺っていきますよ!入社した方はまず何から始められるのでしょうか?

まずは調理場に入ってもらい、魚の捌き方から覚えていただきます。そのあとは天ぷらや焼き物などの料理で経験を積んでもらい、最後に握りですね。最初から握りだけを任せてしまうと、どうしても仕事の幅が偏ってしまうことがあるんです。実際、うちの職人たちは長年寿司に向き合ってきたからこそ高い技術と誇りを持っていますが、一方で「天ぷらをやってみよう」といった新しいチャレンジには少し戸惑ってしまう場面もあるんです。だからこそ、まずは魚を扱う基本から入り、調理全体を経験したうえで握りに進んでいく。そうすることでどんな料理にも対応できる柔軟な力を身につけてもらうことが出来るんです。

Q:お話を伺ってますと、一人前になるまでにはどうしても時間がかかってしまう印象があるのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

どこまでいってもご本人さん次第ですが、早い人で3年で握り以外のことはひと通りできるようになると思います。といいますのも平磯店では従業員の高齢化が進んでいて、「見て学べ!」ではなく見て学んでるあいだに手元にどんどん仕事がきます。だから成長が早いんですね。見て学べ!って捉え方を間違えると自分のことだけやっていればいい、と捉えてしまう人も少なくないと思うんです。「自分に任せられた範囲の仕事を、自分のペースで見て覚える」これでは早期の成長は望めないと思うんですね。

Q:おっしゃる通りですね!キャリアアップという視点ではいかがでしょうか?

話が少し重なってしまうかもしれませんが、特に平磯店では従業員の高齢化が進んでおり、次の世代にバトンを渡すタイミングが近づいています。でもその環境が逆に、これから増田屋に入ってくる方にとってはチャンスのある環境だと考えているんです。「将来自分のお店を持ちたい」「やりがいのある仕事に挑戦してみたい」という方には、まさにうってつけなんですよね。なんて言うと「いいことばっかり言ってるけど、実はブラックなんじゃないの?」と思われるかもしれません。でも、増田屋では完全週休2日制を導入しました。火曜日・水曜日を連日で定休日に設定し、半ば強制的にしっかり休める体制を整えたんです。「月に8日〜10日も休んだら売上が…」と思われる方もいるかもしれませんが、私たちはそれ以上に従業員が安心して働ける環境づくりを何より大切にしています。

Q:素晴らしいですね!終盤です。光祐さんが「この仕事を続ける理由」をお聞かせください。

僕が増田屋に入ったキッカケは、父が弟の結婚式で語ったスピーチでした。「増田屋を100年続くお店にする。」その言葉に引っ張られるようにしてこの世界に入りました。でも、裏を返せば、当時の自分にとって「この仕事じゃなきゃダメだ」という強いこだわりがあったわけではなかったんだと思います。増田屋には70年以上の歴史があって、垂水という地域で長く親しまれてきました。この地を離れた方が、帰省のタイミングでふらっと立ち寄ってくださったり、コロナ禍には「辞めちゃうの?」と心配の声をかけてくださったり。そのひと言ひと言に、「垂水には増田屋がないと」と思っていただいている気持ちが込められていると感じています。そのお気持ちに応えたい。それが、僕がこの仕事を続ける理由です。増田屋をそんなふうに思っていただけるのはすごくうれしいことですよね。いろんな人の記憶に残っている増田屋がなくなってしまったら、その思い出ごとなくなってしまう気がするんです。だからこそ「100周年」。きっと簡単な道のりではありませんが、何としても達成したいと思っています。

Q:ありがとうございます。最後に読者の皆さまへメッセージをお願いします。

この業態にしては、比較的早い段階で仕事を覚えられ、チャレンジできる環境があると思います。また、これからは洋食出身のシェフも迎える予定で、和食だけでなく洋の技術にも触れられるチャンスがあります。そして、何より家族でやってきたからこそ、スタッフ同士の距離も近く、風通しの良い職場だと思っています。完全週休2日制の導入など働きやすい環境づくりにも力を入れています。ご一緒できたらうれしいですね。